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ガザ
(公開日:2015.11.02)

【ガザ紛争から一年】わが子にどう説明すればいいのでしょうか?

 
紛争から一年以上が経過した今もなお、ガザの多くの子どもたちは大きな犠牲を強いられ続けています。
戦争の残酷な現実について、子どもたちに話すことは避けるべきでしょうか?



この記事を書いたルブナ・イスカンダルはパレスチナのヨルダン川西岸地区(*下記地図参照)で働くセーブ・ザ・チルドレンの職員です。彼女は、ヌハ(13歳)、タマール(10歳)、ナタール(3歳)の3人の子どもたちの母親です。彼女は詩人でもあり、外国語、美術、音楽を学ぶことを楽しんでいます。

この記事は彼女の個人的な印象を反映して書かれています。


        

パレスチナ全体の地図。ガザ地区とヨルダン川西岸地区(東エルサレムを含む)に分かれており、この地区間を往来する許可を得ることは大部分のパレスチナ人にとって非常に困難です。国連やNGOの職員などの支援関係者は一般的に許可を得やすいものの、時として、同様に困難になることもあります。なお、面積はガザ地区が東京23区の約6割程度、ヨルダン川西岸地区は三重県と同程度であり、ヨルダン川西岸地区の中心にあるラマラからガザ地区北部までは、車で1時間強の距離です。

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まる一年以上が過ぎたなんて信じられません。

断食月の長い一日が終ってから、明け方までガザのニュースを見ていたのを思い出します。

私たちが見たのは、住むところを失った家族、バラバラになった遺体、まるごと消し去られた世帯や建物、コミュニティ、そして家族を捜し求めて病院をさまよう子どもや親たちでした。
食事をしたり、眠ったりすることなどできませんでした。

昼も夜も長く感じられ、つらいものでした。

私たちはヨルダン川西岸に住んでおり、爆撃されていたのはガザです。
私の子どもたちがこの恐ろしい映像を目にすることを防ぎたいと心のどこかで思っていました。
子どもたちには、安全だと感じていて欲しかったのです。

子どもたちを、ただきつく抱きしめていたかったのです。
私の部屋で、私のベッドで、眠っていて欲しかったのです。
私にぴったりとくっついていて欲しかったのです。

私はテレビでやっているホラー映画ですら子どもたちには見せません。
ですから、どうしてこれを見せることが出来るでしょう?
演技しているだけだなんて、彼らには言えません。

それでも、それはガザ、パレスチナで実際に起こっていたのです。
恐ろしい映像を見せたくない、安心していてほしいと思う一方で、そこで何が起こっているかを彼らに知って欲しいと思っていました。


痛ましい記憶

隣国レバノンで内戦が続いていた1982年当時(*)、私は7歳でした。
家族や子どもたちが殺され、遺体が道路に打ち捨てられている光景をニュースで見たことは、今でも覚えています。
(*1982年、レバノン内戦の最中、ベイルート近郊のパレスチナ難民キャンプにて、親イスラエルの民兵組織が多数のパレスチナ難民を虐殺する事件が発生したことが報道されています。)

私が育ったナブルス(ヨルダン川西岸の都市。上記地図参照) はイスラエルに占領され、当時は軍隊が駐留していました。
銃弾の轟音やタイヤを燃やす煙を逃れて学校から戻ると、家だけは安全だと感じていました。
その頃、隣に住む13歳の子が撃たれ、殺されました。
その時の苦痛を、今でも覚えています。
私たちはよく一緒に遊んでいたのです。
彼はまだ子どもでした。

その事件があってからというもの、私は「イスラエルの兵隊が突然、家のドアを破って侵入し、銃で私たち皆を撃つかも知れない」という恐怖に囚われるようになりました。
この恐怖に打ち勝つのには何年もかかりました。
「もし私がたった一人の生存者になったらどうしよう?」
「家族がいない我が家で暮らすことに意味はあるのだろうか?」


説明する言葉はない

第二次インティファーダ(*)があった2000年、私は最初の子どもを身籠っていました。
私の夫や兄弟、隣人は占領軍に捕まり、軍事キャンプに収容されていました。
子どもを産むまでの妊婦としての最後の3カ月間、一人取り残されていたのです。
(*インティファーダは民衆蜂起を意味し、一般的には、パレスチナ住民によるイスラエルの占領支配への抵抗運動を指します。1987年から1993年にかけて発生したものは第一次インティファーダ、2000年から2005年にかけて発生したものは第二次インティファーダと呼ばれています。)

道路はブルドーザーで破壊され、安全保障局の建物は爆撃され、私の家は揺れ動いていました。

私は空を飛んでいる飛行機とミサイルを見上げ、「間違えで私たちが攻撃されたらどうしようか?」とよく考えていました。
「陣痛が始まった時に一人ぼっちで、病院に行く手段もなかったらどうしよう?」
身籠っていたのは私の最初の赤ちゃんで、私は何も分からなかったのです。

そんな不安と同時に、私にはまだ子どもがいないことを神に感謝しました。
どうやって子どもたちを食べさせ、世話をし、慈しめばいいのでしょう?

ガザの親たちは、私よりも更に大きな問題に直面しました。
自分たちの子どもに、なぜ手足を失くして友達と遊べなくなってしまったか、なぜ兄弟や姉妹が殺されたり、大怪我を負わされたりしてしまったかを説明しなければならなかったのです。

孤児を世話している人達は、彼らの親がなぜこれほど早く世を去ってしまったか、彼らの家に何が起こったかを、孤児たちにどうやって説明すればよいか大変苦労しているのではないでしょうか。
そして、なぜ世界が沈黙しているのかについても。

どうすればこうした子どもたちが、再び安心し、安全だと感じることができるでしょう?

彼らがドアを見つめるのを止め、頭上の飛行機や花火の音でパニックにならないようになるまでに、何年かかるのでしょう?

そして、彼らが育んだ夢はどうなるのでしょう?


痛みを理解する

2014年、私は自分の子どもたちに、ガザで何が起こっているかを話さなくてはならないと決心しました。

ラマラ(*)の外に住むパレスチナ人の苦痛と苦悩を、大きなショックを与えたり、不安に思わせたりすることなく、自分の子どもたちに伝える方法を見つけねばなりませんでした。
いずれにしても、彼らは成長し、事実を知ることとなるのです。
(*ルブナ一家が現在居住しているヨルダン川西岸の都市。上記地図参照)

紛争から一年、私は今でもショックを感じています。
多くの子どもたちが殺されたり、大怪我を負わされたりしたこと、
多くの家族が強制的に避難生活を強いられたこと、
コミュニティがまるごと消し去られてしまったこと、
世界中がこれらを糾弾するものと思っていました。

しかし、何ひとつ起こらず、すべてが再び静かになってしまいました。

今、私たちは一年前の話を読み返し、そして破壊された町を見渡します。
人の住んでいないコミュニティや誰も座らなくなったテーブルの椅子を見つめます。
手足を失くした子を思い、彼らの目に浮かぶ困惑を想像します。
彼らは、それに値するような何をしたというのでしょうか?
いつ彼らは再び走ったり遊んだりすることが出来るのでしょうか?


あまりに多くの疑問

私たちセーブ・ザ・チルドレンは、このような子どもたちを助けるために何かできるのでしょうか?
戦争の痛々しい記憶や悪夢から彼らを救い、昔の美しい思い出を守ることはできるのでしょうか?
私たちの行っている心理社会的カウンセリングは十分でしょうか?
彼らの話や子どもの権利条約違反を文書に記録することは十分でしょうか?

答えは分かりません。
私に分かっているのは、ここ数年取り組んできた障害を負った子どものためのケースマネジメントの仕組みに対し、私は今、より強い意志を持って、全力を傾けているということです。

トラウマに苦しむ障害を負った子どもたちはもっといます。
彼らはそのようにして生まれてきたのではありません。
新たな現実と共に生きる方法を知るために、彼らは私たちの助けが必要なのです。

火傷を負った子どもたちは、彼らが今もなお美しいことに気付くことができるよう、私たちの助けが必要です。
そして、彼らの親もまた、私たちの助けが必要です。

どうすれば子どもたちとその家族を安心させることができるでしょうか?
何も心配しないでよくなるのだと。
危険ではなくなるのだと。

どうすれば希望の光を輝き続けさせることができるでしょうか?

その負担はとてつもなく大きく、責任はますます大きくなっています。



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セーブ・ザ・チルドレン、セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンのガザ地区での支援活動


セーブ・ザ・チルドレンは、30年以上にわたり、ガザを含むパレスチナ全土で活動を続けてきました。ガザにおいては、緊急人道支援に加え、子どもやその家族への長期的な支援活動を実施している最も大きな国際NGOのひとつです。昨年のガザ紛争の勃発から今日までに、食糧、医薬品、新生児キット、水の配給、医療やカウンセリングサービスの提供、訓練されたボランティアのカウンセラーによる24時間ヘルプラインの運営支援などを通じ、154,122人の子どもたちを含む227,512人の被災者に支援を届けてきました。また、子どもの保護や健康におけるリスクの低減、地域社会による緊急事態や災害への備えや対応の改善など、子ども自身の心理社会的な側面を含め、地域社会や子どもたちのレジリエンス(立ち直る力、回復力、復元力、弾力)の強化を目的とした活動も行っています。

セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンは、日本人現地駐在員を派遣して、今年4月よりガザの子どもたちの保護・教育支援事業を実施しています。この事業を通じて、子どもたちにとって安心・安全な教育環境の整備を行うとともに、子どもたちへの心理社会的サポートを地域ぐるみで行うことで、子どもたちや地域の人々が自らの力で困難を克服する力を育みます。

本事業は皆さまからのご支援と、ジャパン・プラットフォームの助成により実施しています。

 

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