「僕のお父さんは、建設の仕事をしていました。紛争前、僕たちは、お父さんが建てた家に住んでいました。大きな庭にオリーブの木、ぶどうの木、イチジクの木、そしてたくさんのバラが植えてある、村で一番きれいな家でした。でも、4年ぐらい前に村への爆撃が始まって、僕たちは大好きな家を離れなければならなくなりました。しばらくして村に戻ると学校は閉校していて、2年もの間学校に行けませんでした。
学校に行けなくなった頃は、よく友だちと遊んでいました。でも、だんだん周りの子たちが働き始めたんです。どの家も貧しくて、お金を稼ぐ唯一の方法は、石油市場で働くことでした。友だちは、仕事から帰ってくると、汚れていて、疲れていて、石油臭かった。そのときは、僕もみんなと一緒に働くことになるとは思っていませんでした。
そのうち、僕たちの家もとうとうお金がなくなってしまいました。お父さんは、仕事がなくなり、生活の糧は飼っていた牛だけだったので、牛乳を売って、そのお金で食べ物を買っていました。でも、牛乳を売るだけでは生活できなくなってきたので、僕は兄と一緒に、お父さんとお母さんを助けるために働くことにしました。
僕と兄は、他の子たちと同じように、スポンジとバケツを持って朝早くから石油市場に行くようになりました。そこではたくさんの人が働いていて、他の子たちと争わないとバケツに石油をためることができません。とてもきつくて、危ない仕事でした。
タンクに石油を入れている時に事故が起きやすく、タンクの近くにいる人に火が燃え移るのを何回も見ました。いつもすごく怖かったけれど、やけどをしたくなかったし、タンクに石油を入れる時には離れているようにと兄が教えてくれたので、僕もとても気をつけていました。
それでも、仕事中には石油を直接手で触るので、僕は病気になってしまいました。小さな赤いぶつぶつが体中にできて、両手がずっとヒリヒリするようになりました。手も黒くなってしまいました。どんなに洗っても、石油の臭いが消えないし、黒いままでした。体も手もちゃんと洗いたかったけど、毎日水は使えなかったので、砂で洗うしかありませんでした。この仕事が大嫌いでした。それなりのお金をもらえたけど、いつも気分が悪くなるので、嫌で嫌で仕方がありませんでした。