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中東
(公開日:2026.03.27)

【中東危機】レバノン現地スタッフの声「避難せざるを得なかったけれど、私たちはまだ“幸運なほう”です」

 
ジャナ(28歳)は、セーブ・ザ・チルドレン・レバノン事務所でコーディネーターとして働いています。紛争で家を追われるのは今回で3度目で、最初の避難は8歳のときでした。3月2日、自宅近くがミサイル攻撃を受けた直後、家族とともにベイルートの家から避難しました。彼女は人道支援の仕事に就く前は、石油化学工学を学んでいました。


セーブ・ザ・チルドレン・レバノン事務所で働くジャナ

今回の紛争が始まった日、午前3時に、ベイルート全体に響く空爆の轟音と家の揺れで目を覚ましました。ラマダンのため早起きそのものは珍しくありませんが、この日の朝は明らかに様子が違いました。外の様子が見えなくても、音と振動だけで何が起きているのかはっきりと分かったのです。

私は28歳ですが、レバノンで紛争を経験するのはこれで3度目です。最初は2006年、私が8歳のとき。2度目は2024年、国連の仲介による停戦が成立する前に、イスラエル軍がレバノン南部へ侵攻した際のことでした。

そして今回、中東地域全体で紛争が激しさを増し、レバノンがイスラエル軍の攻撃を受ける中で、私と家族は再び、通算3度目となる避難を余儀なくされました。

こうした状況になると、ゆっくり考えている時間はほとんどありません。私は人道支援の仕事に携わり、子どものころから紛争を経験してきたこともあり、常に非常時に備える習慣があります。緊急支援の現場では、常に先を考え、計画を立て、迅速に行動することが重要です。空爆が始まったときも、私は家族が一刻も早く避難できるように、行き先を確保し、重要書類や現金を入れた「緊急持ち出しバッグ」を準備しました。

私たちは6人家族です。両親、2人のきょうだい、ラマダンのため一緒に過ごしていた81歳の祖母、そして私です。車に乗り込み、避難しようとしていたそのとき――空爆が落ちる直前に聞こえる、あの「笛のような音」が聞こえました。とても特徴的な音で、一瞬でこれまでの戦争の記憶がよみがえりました。あの音だけは、おそらく一生忘れることはないと思います。

皆が一斉にベイルートを離れようとしていたため、道路は渋滞していました。私たちは何とか山間部にある叔母の家にたどり着き、次の滞在先が見つかるまでの間、そこで空爆の危険から身を守ることができました。その日は断食前の食事を取れなかったため、気づけば22時間近く何も口にできませんでした。 

それでも、私たちはまだ“幸運なほう”です。
安全に身を寄せられる場所を確保できたのですから。

しかし、多くの人はそうはいきません。

ここ1週間で家賃は急激に高騰しました。通常なら月500米ドルほどの家が、避難してきた家族には1,500米ドル以上で貸し出されています。さらに、3〜6ヶ月分の前払いを求める大家も多くなり、これはレバノンでは極めて珍しく、多くの家庭には到底払えない大金です。
こうした状況から、多くの人が混雑した共同避難所で暮らしたり、車の中や学校で夜を過ごしたりしているのです。

私は人道支援の仕事をしているので、避難がしばしば「数字」や「統計」で語られることをよく知っています。しかし、家を追われ、避難所で生活する人々を目の前にすると、彼らを数字として見ることなどできません。そこには「人」がいます。私自身もかつて同じ状況にいたので、彼らの気持ちがよく分かります。

2006年の紛争時の最終週、家賃が払えずほかの場所を借りる余裕がなかったため、私たち家族はぎりぎりまで自宅に留まっていました。
しかし最終的に共同の避難所に入ることになりました。
私はそこで8歳の誕生日を迎えましたが、お祝いができなくて泣いていたことを覚えています。

それから時間が経ちましたが、橋の下を車で通るたびに不安が胸をよぎるのです。
当時の紛争では、多くの橋が空爆で破壊されていたためです。橋の下を通るたび、心配な気持ちになりました。この感覚が完全に消えるまでには、何年もかかりました。

文章を書くことは、私にとってこころを保つ大切な手段になりました。
子どものころから日記に気持ちを書くようにしていて、今でもその習慣は続いています。
子どもは言葉で感情を表現できないことがありますが、文章を書くことや絵を描くこと、音楽は大切な “感情の出口”になり得ます。

この1週間あまり、私の家族全員にとって精神的な負担は計り知れないほど大きいものでした。
自分のこころを保つために、“フィーリング・トラッカー(感情記録表)”のようなものを作りました。
1日の中で、自分の感情が大きく揺れ動いていることに気づいたからです。
苦しさ、怒り、無力感、苛立ち――ときには何も感じられなくなるほどの麻痺状態まで。
すべてが自分の力ではどうにもできず、計画も、願望も、夢も、一瞬で消えてしまうかもしれない…そんなとき、こうしたことが起こるのだと思います。
それでも私は、どんな状況でも前に進み、何かを成し遂げたいという気持ちを持ち続けています。

今年のラマダンは、例年とまったく違います。
普段なら、友人や家族と集まり、断食明けにコーヒーやアイスクリームを楽しんだり、散歩に出かけたりする時期です。
けれど今年は静かで、楽しみと呼べるものがありません。
悲しみや不安があると、食べ物の味さえ感じられなくなるものです。

母と私は、4月にイタリアへ行く予定でした。母が20年近く夢見ていた旅行で、一緒に計画を立てながらとても楽しみにしていました。しかし今、その旅行が実現するかどうか分からなくなりました。

少しでもこころを落ち着かせるために、私たちは、日常を感じられる小さな時間をつくるようにしています。きょうだい3人で座って音楽クイズをし、歌手の名前を当てるなど、笑う時間を必ず持つようにしています。レバノンでは、皮肉やユーモアが何よりの癒しになるのです。

ここレバノンでこころの支えになっているのは、人との強いつながりです。
友だちと常に連絡を取り合い、状況を話し合ったり、情報を共有したりしています。
私たちが今の滞在先をすぐに見つけられたのも、午前3時に友人から「もう避難した?」とメッセージが届き、大家さんを紹介してくれたおかげでした。
この国で得られる“友人や家族の支え”は、私が決して失いたくない大切なものです。

ここ数日、私たちは紛争への対応を強化するため、昼夜を問わず働いています。不思議なことに、この“仕事”そのものが私を支えてくれていると感じます。周囲の状況がどれほど不確かでも、今起きていることに自分が意味のある形で役に立てている、と思えるからです。

3度の紛争を生き抜いた経験は、これからもずっと私の中に残り続けるでしょう。そして、私の子どもたちには決して同じ思いをさせたくありません。それでも私は、この国を離れたいとは思わないのです。
この国も、友人も、家族も、愛しています。結局のところ、大切なのは“場所”や“建物”ではありません。自分を愛してくれる人たちがそばにいてくれること――人と人との間にある“愛”こそが、こころを支える最も大きな力です。そしてそれは、私が守りたいと強く思うものでもあります。


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