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ガザ
(公開日:2026.10.27)

【パレスチナ・ガザ地区】スタッフの証言:何ひとつ止めることのできなかった「停戦」

 
シュルーク(32歳)はガザ地区で活動するセーブ・ザ・チルドレンのスタッフです。戦争が始まった最初の週に夫を失い、娘のカルメル*(4歳)とともに戦争開始以来、何度も避難を余儀なくされてきました。シュルークのレポートをご紹介します。


ガザ地区で冬の支援キットの中身を確認するシュルーク



いわゆる「停戦」が宣言されたとき、戦争は終わったと聞きました。
しかし、ガザ地区で暮らす私たちの日常は、1年たった今も戦争の中にあります。
私はセーブ・ザ・チルドレンのスタッフとしてガザ地区で働いています。戦争が始まって間もない頃、夫を失いました。4歳の娘カルメルとともに、これまで何度も避難を繰り返してきました。
「停戦」が宣言されたとき、多くの人が安堵しました。しかし、私たちの暮らしに平穏が戻ったわけではありません。

ほんの1週間前のことです。私と娘が現在身を寄せている地域で、1台の車両がイスラエル軍の空爆を受けました。その車が攻撃されたのは、私たちが家に入ってからわずか10分後でした。
その日、娘はひどく怯え、高熱を出しました。
強い風でドアが突然閉まる音を聞くと、いまでも娘は怖がります。車のクラクションの音も苦手です。幼い頃から救急車のサイレンを聞き続けて育ったからです。
正直に言えば、私自身も恐怖を感じています。
それでも娘の前では平気なふりをしています。娘には少しでも安心していてほしいからです。何事も起きていないかのように振る舞い、「大丈夫だよ」と伝え続けています。
けれども、心から安心できる日はまだ訪れていません。

頭上では一日中、監視用のドローンの音が響いています。
ガザ地区では今も、空からも海からも陸からもイスラエル軍の存在を感じながら暮らさなければなりません。
通勤途中の道沿いには、仮設テントが立ち並んでいます。そこに暮らす家族たちは、2年以上もの間、この仮設の住まいで生活を続けてきました。
夏の厳しい暑さや冬の寒さ、激しい雨や強風に耐えながら、爆撃や飛び散る破片の危険の中で日々を過ごしています。何度も補修を重ねられたテントはすでに傷みが激しく、今にも崩れそうです。その姿は、長引く戦争によって疲れ果てた人びとの暮らしそのものを映しているように見えます。

戦争が始まる前、この道にはヤシの木が並んでいました。しかし、その多くは攻撃によって破壊されました。残っていた木々も、調理用のガスが手に入らなくなったため、料理の燃料として伐採されてしまいました。

今日、移動中にふと自分のシャツを見ると、大きなしわが寄っていることに気づきました。
そのとき思い出したのです。最後にアイロンをかけたのは、もう3年前だったことを。
アイロンを使おうにも、安定した電気がありません。そもそも電気そのものがほとんど来ないのです。今、わずかに使える電力の多くは発電機によるものですが、その燃料も不足しており、燃料価格は高騰しています。

ガザ地区では今、およそ200万人のパレスチナ人が、地域全体の3分の1にも満たない狭い範囲に押し込められています。
自由に移動することはできません。必要なものを手に入れるのも容易ではありません。
イスラエル政府による規制が続く中、検問所の通行は厳しく制限されています。人道支援物資や商業物資を積んだトラックも、ガザ地区に入る台数が限られています。
その影響は、日々の暮らしに直接表れています。
食料品をはじめ、生活に欠かせない物資の価格は高止まりしたままです。

ガザ地区では今も、多くの人が命に関わる医療を受けられずにいます。特に深刻なのは、ガザ地区の外で治療を受ける必要がある患者たちの状況です。ガザ当局の広報事務所によると、緊急の医療搬送を必要としている2万2,000人以上の患者にとって、ガザ地区の外で治療を受けることは、依然としてかなわない願いのままです。
街のあちこちには破壊された建物が残されています。それでも復旧は進みません。
家を建て直すための資材は不足したままです。壊れた学校や病院、住宅を修復するために必要な資材が十分に入ってこないため、再建への道筋も見えません。生活再建のための迅速な解決策もなく、「ないもの」のリストは長くなるばかりです。

そんな毎日の中にも、大切にしたい小さな時間があります。
職場で同僚と顔を合わせること。少しの間でも一緒に座って話をすること。そして、コーヒーを飲みながらほっとひと息つくことです。
深刻な食料不足が続いていた時期や、戦争が最も激しかった頃には、仲間とコーヒーを飲むことさえかなわない願いでした。そんな何気ない時間が持てることに、今は特別な意味を感じます。


テント内に設けた「こどもひろば」

この日、私はセーブ・ザ・チルドレンが運営する「こどもひろば」を訪れました。
そこで過ごす子どもたちの表情は、驚くほど生き生きとしていました。まるで「夢の国」を見つけたかのように、走り回り、笑い合い、思い思いに遊んでいます。「夢の国」といってもただのテントです。

ガザ地区では学校の98%以上が破壊されました。残っている学校の多くも避難所となっています。そのため、多くの子どもたちは学びの場だけでなく、安心して遊び、友だちと過ごせる場所も失っています。
だからこそ、「こどもひろば」はかけがえのない存在です。子どもたちに、遊び、学び、同年代の友だちと過ごしながら、ほんのひとときでも子どもらしい時間を取り戻す場所を提供しています。それは、尊く、美しい光景でした。

しかしその一方で、ガザ地区のほとんどの学校が破壊された今、子どもたちがテントの中で、遊べる、学べることを喜ばなければならない現実に、胸が痛むこともあります。人道支援団体は、限られた支援物資と搬入が認められた物資を活用しながら、できる限りの支援を届けようとしています。
それでも、「こどもひろば」だけでは応えられない課題があります。
ここでは、身体に障害が残った子どもが何千人もいます。本来であれば、安全に移動できる環境が必要ですが、子どもたちの前に広がっているのは、砂やがれきで埋まった地面や、壊れたままの道路です。

戦争で手足を失った子どもたちの中には、今も義肢が届くのを待ち続けている子どもがいます。義肢の搬入はこれまで何度もイスラエル当局に認められませんでした。手足を失い、必要な手術や薬も十分に受けられない子どもに、「戦争は1年前に終わったのだ」と、どう伝えればよいのでしょうか。
人道支援に携わる私たちは、何でも解決できる力があると思われることがあります。しかし実際には、私たちもまた、この状況の中で暮らしています。家族や友人を失った悲しみ、不安、消えることのない記憶を抱えながら、それでも目の前の人びとに支援を届けようとしています。

いわゆる「停戦」から1年が過ぎました。それでも、私の娘には父親がいません。私の家は今もがれきのままです。
そして、生まれてからずっと暮らしてきたこの街は、かつての面影をほとんど失ってしまいました。


【子どもに対する戦争:パレスチナ・ガザ地区とレバノン 3年が経過して】レポートはこちら


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*プライバシー保護のため名前は変更されています


 

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